防災コラム  
  このコラムは青葉区民会議ニュース37号より佐藤榮一さん(桐蔭横浜大学 客員教授 防災アドバイザー、元保土ケ谷消防署長)に
  寄稿文として書いていただいたものです。

  1.大災害時、真の自助とは 37号掲載
  2.大災害時、自助・共助から互助へ 38号掲載
  3.正常性バイアスに関わる『自己中心型自己判断基準』 39号掲載
  4.村八分って知ってますか? 一人ではできない火事とお葬式 40号掲載
  5.災害避難において、真の自助とは自衛であるべき 42号掲載
  6.高齢社会、地域への警告 43号掲載
  7.高齢者の孤独死防止と地域の見守り 45号掲載
  8.大災害にそなえ、市民の受援力を高めよう 47号掲載
  9.2018年 災害の様相と対応が変る 48号掲載
  10.今年の西日本豪雨を減災の視点から見ると得られた教訓とは

番号  内容
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「今年の西日本豪雨を減災の視点から見ると得られた教訓とは」                    

『減災』という言葉ができて災害時の人命確保に対する考え方が変わって約10年になる。減災の成果が出始めたのは昨年の九州北部豪雨であろうと考えていた。しかし、今回の水害で、わが国の危機回避意識が今後変わっていくのではないかと確信的に感じている。「200余人も亡くなって奏功とは不謹慎」とお叱りを受けることは覚悟している。豪雨の避難者は緊急度の高い「避難(緊急)指示」で23千人以上が対象になり、約5千人が今も避難を続けている(7月現在)。                               死者について『なぜ死に至ったのか』『死なずに済んだのでは?』を分析することで今後の災害対策に教訓を得るだろうと確信する。私は『避難と避難忌避』について研究している。避難忌避の状況が詳しくテレビニュースで報道されていたのを多数の国民が確認されている。200人のうち避難忌避者が素直に避難して、避難要支援者に地域が総力を注いだ場合、不可避の死はどれくらいであっただろうか。地域全体の減災について考える機会ではないだろうか。ハザードマップや防災マップを確認し、真の自助・共助を理解し、早めの避難、率先避難、避難指示の意味をしっかり自覚して『死者ゼロ』を目指そう。                             今回の水害では、自治会長が避難忌避者に対し『時間の限界』『率先避難者になる宣言』をして避難行動を促した例も報道されている。     49号掲載

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 「2018年 災害の様相と対応が変る」
     
 ここ数年来、災害の様相は大きく変わり、過酷被害につながっている。
種類、規模、名称など、聞きなれない状態で発生し、国民は対応の仕方が従来の方法では不十分なことに気づき始めている。しかし、具体的な方法は暗中模索状態で、不安の方が大きいといえる。行政機関も失敗を重ね『想定外』であったと対応の不手際責任を逃れている。
 過去と異なる状況として、国民保護計画事象(武力攻撃事態:ミサイル攻撃、航空攻撃、着上陸侵攻、ゲリラ攻撃等・緊急事態対処:石油コンビナート、原子力施設等、大規模集客施設等に対する攻撃)が浮上してきた。地震災害は、予知情報が廃止され観測情報に変わり
東海地震危機が東南海、南海など4連動地震に変わった。災害の規模やスケールも大きく変わり『超』『スーパー』『メガ・ギガ』『爆弾』などの冠称が付くようになった。
 災害対策も実質的な成果を収めるために従来とは異なる手段を実行することとしている。
例えば、大地震時の木造密集地域大火災は、人命救助より消火活動を優先的に行い、消火後救助活動に移行するほうがより多くの命を救えると判断した。また、防災協力の自治会関係者、福祉関係者、消防団員などの避難誘導活動における避難忌避による道連れ死を防止するため、限界時間を過ぎたら『率先避難者』として避難を開始できるように首長が率先避難を推奨し啓発を行うこととなった。更に、近々発表されるようだが、横浜市だけではなく各地は指定避難所・地域防災拠点へのマイカー避難をエコノミークラス症侯による地震後死防止のため認めない方向で見直しを図っている。
 区民の皆さんは、これらのことを防災のリボリューションとして認識していかなければならないと思う。行政機関や防災支援団体は市民に対して啓発活動を従来にも増して進めなければならない。市民も真の自助を念頭に『自己啓発』をしなければならない。 48号掲載

 「大災害にそなえ、市民の受援力を高めよう」 
 -昨年11月、NHKTVニュースで熊本県知事が熊本地震の失敗として『行政の受援力』が不足していたことを挙げ、各地に対し、教訓として受援力の強化を助言する旨の発言をされていた。以後、各地では行政の受援体制強化の会議や訓練が進められている。県知事は行政の失策として語られていたが、その裏には住民の失敗であるということも言いたかったのではないかと推察した。該県の自治体の一部は自主防災組織結成率100%と表明していたのが50%に満たない現実を2015年に新聞発表され、住民が行うべきことを行政が行わざるを得なかった初動活動などのニュースで痛感されたのではないか。        (参考)受援力:外部の支援を受け止め活用する力                          -今後の横浜大災害において『自助』『共助』『公助』が適切に機能することは大切なことであるが、さらに広域的に『援』を組み込んだシステムが必要ではないかと考える。援助(ヘルプ、セーブ)、支援(サポート、アシスト)がバランスよく働くこと、『援』と『助』が人の手でつながることが被災後の達成感を得ることにつながるのだと思う。                                           -覚えていますか、数年前の区民会議の話し合いの中で、参加者の中から「『共助』は『互助』だ。」と。賛同の声が上がった。私もその後「青葉区の共助は『互助』である。」と各地で講じている。多くの協感と賛意が寄せられている。支援・受援活動を円滑に行うためには、普段からの交流も必要であるとも感じている。同じ目的、同じ地名などによる交流が有効なのは、実例からも言うまでもない。
「高齢者の孤独死防止と地域の見守り」      
 高齢一人暮らしの孤独死が報道されることが多くなりました。前回のコラムで高齢者は存在感を示し若者とつながろうと誘いの記事を書きました。反響は大きく、区内の数箇所から賛意や相談が寄せられました。                  
 ●何箇所(人)から、独居老人の見守りをいかに行うべきか問いかけられました。私は以前から『ゆるやかな見守り』を提唱してきました。地域で実践困難とか実施してみて負担が大きくて頓挫したとか悩みを聞いてきたので『ゆるやかな』をキーワードにして負担感も責任感も軽くして、息『長ーく』行えるようにと考えました。自治会町内会の組織単位で行うのではなく、隣人、向こう3軒両隣の最小単位で行うのが良いと思うのです。                                 
 ●その1は、門灯、玄関灯の点滅チェックです。朝夕の、新聞取り込み、散歩、買い物、ごみ出し、通勤などの際に灯りの点灯・消灯状態を見てドアチャイムで「点いてますよ」「点けましょう」などと、知らされ方は「ハーイ、ありがとう」で軽く済ますことができます。            ●その2は、カーテンの開閉あるいは窓際に置かれた灯りでも同じようにできます(ノルウェーの窓)。 新聞や郵便のたまりよりは早い気づきが可能です。                                                       
 ●この形態に自治会、民生委員、親族、防災拠点などが加わっていくと安全なまちに発展するだろうと確信しています。 効果とその後日談はいずれまた・・・。 45号掲載
「高齢社会、地域への警告」  
       
最近の大災害時の過酷被害を調査していて、周辺の人々がその人の存在を、災害時に初めてあるいは久しぶりに気づく。何か物悲しくさびしい気持ちになってしまいました。           
非日常事態になる前、普段から高齢者の存在は把握されていなければならないと感じました。近所の高齢者の顔が見えなくなり、家から出るのが億劫になってか、寝たきりになってか、別の親族のもとに移動してか、養老施設に入ってか、あるいはもうすでに亡くなっているのか。目の前からいなくなっていつの間にか皆の記憶から消えていく。災害時に存在が確認されるのもつらいものですが自然消滅的なのも悲しいですね。   
      
近所の『ひだまり公園子ども会』世話役の山本さんがケア施設に入ることになり、近所の人たちで壮行会が行われました。前半は大人、後半は子どもたちが集い、凧作りやペーパークラフトを楽しませていただいた記憶を心に、手を取り合い涙を流しながら別れを惜しみました。地域の課題として高齢者は存在感を示さなければならないと強く感じられた一駒でした。  

  高齢者は助けてもらう、それが高齢者に与えられた『役割』です。防災イベントに参加して助けられようよ、と私は提唱しています。発災時だけではなく普段から「我を助けよ」と若者にアピールしましょう。  
              
山本さん夫妻と近所の若い人たちを中心とした『共助力』に心強い安堵の感覚をもった今夏です。43号掲載
「災害避難において、真の自助とは自衛であるべき」

 昨年多発した土地災害の人命被害には共通した要因があることに気づきました。それは、行政の避難指示が無かったり、遅れたことで住民が避難をしなかったことによって発生した悲劇です。避難指示を発表する首長と避難行動をする住民との間の根本的な誤りが過ちを引き起こしたと私は判断しました。
 危機対応に際して、自己防衛は本能的に状況を判断して瞬間的に防御行動を起こす、これが自衛です。行政の避難指示を待ちながら不安・恐怖におびえていたとしたら、何と悲しいことでしょう。避難勧告や避難指示は地域包括的な行政作用と認識すべきで、個々の生命確保は個々の自己防衛本能を発揮すべきと私は提言します。大地震時の自助を考えると、生命損傷は揺れている間に発生します。消防も町の防災組織も隣人も家族でさえ、あなたを助けることはできません。自助共助公助について、接頭辞に『真の』をつけてもう一度考えましょう。
42号
「村八分って知ってますか? 一人ではできない火事とお葬式」 

 「『村八分(むらはちぶ)』って知っていますか?」集団いじめの歴史的典型的な形態です。講演会等でこう尋ねると、今では7割近くの人たちが知らないと言います。しかし、子どもたちは今でも知っているし使ってもいます。恫喝的に「はちぶにするぞ」と使っています。では、村八分とは? それは、村集団のおきてに従わない者を仲間から外す私的制裁です。村八分にされると生きてゆけなくなる封建社会では、その恐怖から仲間はずれにされぬよう『見かけ団結』が維持されました。昭和20年ころまでは地域制裁として黙認されていました。

 そのような封建社会でも、『つまはじき』にしてはならないと定められていたのが残りの二分です。その外してはならない残りの二分は、『火事と葬式』です。一人ではできない消火活動と埋葬の二点は、村人総がかりで行ったのです。地域社会は、公助・共助・自助で成り立っているのですが、特に災害など究極の状況からの被害を避けようとしたときにその区割りは歴然としてきます。

 大規模災害の過酷被害が想定されている今、災害対応は一人では何もできない。災害時助け合いの仕組みができていなかったり、共助の輪から抜け出て無関心でいたりするのは村八分状態であり、封建社会より劣るのではないでしょうか。

 最近、首都圏直下地震の被害想定はますます過酷な状況に改訂されました。国民に求めることとして実質的な自助活動と有効な共助力を強めなければならないとしています。しかし、インフラ被害が増大することで人的被害も増大して共助に参加できるマンパワーも減衰することが懸念されています。大災害時、自分を襲う火事とお葬式を考えながら、自分の命は自分で守る、守った命で自分達の町を守る、地域共生の『防災安全、優しい街づくり』がさらに一歩前進することを心がけたいと思います。 40号
正常性バイアスに関わる『自己中心型自己判断基準』 
    
 『正常性バイアス』最近よく聞く言葉です。解りやすく表現すると『自分は大丈夫、過酷な状況に巻き込まれない。』という行動心理学上の用語です。人間は、日常、過酷事故を考えないで生活する本能が脳内にプログラムされていて、ストレスなく安穏に生きていくことを言っています。『正常』が付いているので何となく好ましいことと感じている方が多いのかもしれませんが、逆です。私などの年代は『恒常性バイアス』と言ったほうが理解しやすいかもしれません。

さて、東日本大震災では、この正常性バイアスに囚われていたため生命を失った人たちが多かったと伝えられております。現在テレビ・ラジオで、「津波避難は『はやく』、『高い所』に」と繰り返し放送されていますが、皆さんにとって『はやく』は、どれくらい『はやく』か、また、『高い所』はどれくらいでしょうか。この意識の持ち方が生死の分かれ目だったと私は考えます。

 私の調査対象に家族4人を失った人がいます。その人は妻と娘と孫たちをなくしました。地震直後、津波警報を聞いたので、家族には2階にいなさいと言って地域活動に出かけました。その後、家の高さを超える津波は家族をさらって行きました。その人に「あなたにとって『はやく』や『高く』はどのように考えていましたか。」と尋ねました。「津波が見えたら、水が来たら、走って逃げようと考えていました。また、『高く』は2階か屋根に登ればよいと考えていました。」そして「自分の人生60年の中では、大津波を体験しておらずこのような津波はあり得ないと思っていた。」と述べました。私は、このような事象を『自己中心型自己判断基準』と名付けています。祖父や父が家を流された大津波の体験をしているのに、その人の理解力はリスクマネジメントの最高点には達していなかったのです。自己判断基準を適正にすることは、いろんな事故や災害への対処につながります。

もうひとつ大事な点があります。正常性バイアスにリーダーが陥っているとその組織全体が被害をこうむってしまうという側面があります。 39号
「大災害時、自助・共助から互助へ」 

 前回、自助の準備ができてない人たちに「オニギリ恵んでくれ」と言えますかと問いかけた。オニギリを他に与えるのが共助の象徴でもある。「共助・公助されるべき」という人たちが多いだろうことは、多くの人達、あなた自身がよくわかっていることだろう(失敬)。
首都圏直下型地震、震度7、木造建物倒壊率約 50%、の被災では共助に回る人たちが不足することは明白である。真の自助が確立できる地域であるならば、当然共助活動も十分に行われることになろう。 

区民会議事務局の諸氏から、自助、共助について2極化する解釈が一般的であることにもっと違った視点が必要ではないかとの提言が有り、「自助共助が進化すると『互助』になるのでは」との結論。その通りだと思う。『自分を助ける、人を助ける』を超越して『助け合う』減災システムが構築できればよいなと心から感じる。  
                               
私は防災アドバイザーとして防災・防犯・福祉・生活安全のコラボレーションを掲げ活動をしているが青葉区は間もなく区民の大コラボレーションが確立し、防災の輪が広がって行くことを信じている。大災害時に、一人ひとりが、また一つ一つの組織が『想定外であった』と表明することの無いよう、『想定外想定』『マサカをモシカ』に、と考えよう。

『天は自ら助くるものを助く(S.スマイルズ)』であるが『人は一人では生きていけない動物である。』も真・・・。38号
1 「大災害時、真の自助とは」 
                                
 地震エネルギーの大小を問わず、地域が震度7の揺れに襲われた場合、その被害状況は震度6とは全く異なる状態になることが懸念される。簡単に表現すると、ビルは倒れる、木造建物は割れる、折れる、家具は倒れるのではなく跳ぶ、棚上の物は落ちるのではなく飛ぶなど、従来の考え方の対策では十分ではないと言われる。木造家屋の倒壊率が約50%にも及ぶとも言われる。このような状況の中で自助、共助は大幅に考え方を変えないと成り立たない恐れがある。

自助は真の自助心を持つことが必要で、他者を助ける意識を持つことが自助を完結させる本質であることに気付かなければならないと思う。誰かが助けてくれるだろうという公助・共助に依存した自助はあり得ない。倒壊率50%の地域が生じたとしたら、殺到する避難者で避難所(地域防災拠点)は破局する。この状況に陥らないためには、日ごろから他者のために何ができるかを考えること、地域生活を共有する仲間を増やすことだろうと思う。

わかりやすく言うと、発災時に、隣にいる人に「オニギリどうぞ」というのか、「そのオニギリ恵んでください」と懇願するのか。あなたの防災意識はどちら?「自治会、町内会に加入しよう」。避難所(地域防災拠点)に炊飯器はあっても米はない。食料の備蓄自給は自助の第一歩。人は一人では生きていけないのが大災害である。 37号