防災コラム  
  このコラムは青葉区民会議ニュース37号より佐藤榮一さん(防災アドバイザー、元保土ケ谷消防署長)に
  寄稿文として書いていただいたものです。

  1.大災害時、真の自助とは 37号掲載
  2.大災害時、自助・共助から互助へ 38号掲載
  3.正常性バイアスに関わる『自己中心型自己判断基準』 39号掲載
  4.村八分って知ってますか? 一人ではできない火事とお葬式 40号掲載
  5.災害避難において、真の自助とは自衛であるべき 42号掲載
  6.高齢社会、地域への警告 43号掲載
    7.高齢者の孤独死防止と地域の見守り 45号掲載

番号  内容
「高齢者の孤独死防止と地域の見守り」      
 高齢一人暮らしの孤独死が報道されることが多くなりました。前回のコラムで高齢者は存在感を示し若者とつながろうと誘いの記事を書きました。反響は大きく、区内の数箇所から賛意や相談が寄せられました。                  
 ●何箇所(人)から、独居老人の見守りをいかに行うべきか問いかけられました。私は以前から『ゆるやかな見守り』を提唱してきました。地域で実践困難とか実施してみて負担が大きくて頓挫したとか悩みを聞いてきたので『ゆるやかな』をキーワードにして負担感も責任感も軽くして、息『長ーく』行えるようにと考えました。自治会町内会の組織単位で行うのではなく、隣人、向こう3軒両隣の最小単位で行うのが良いと思うのです。                                 
 ●その1は、門灯、玄関灯の点滅チェックです。朝夕の、新聞取り込み、散歩、買い物、ごみ出し、通勤などの際に灯りの点灯・消灯状態を見てドアチャイムで「点いてますよ」「点けましょう」などと、知らされ方は「ハーイ、ありがとう」で軽く済ますことができます。            ●その2は、カーテンの開閉あるいは窓際に置かれた灯りでも同じようにできます(ノルウェーの窓)。 新聞や郵便のたまりよりは早い気づきが可能です。                                                       
 ●この形態に自治会、民生委員、親族、防災拠点などが加わっていくと安全なまちに発展するだろうと確信しています。 効果とその後日談はいずれまた・・・。 45号
「高齢社会、地域への警告」  
       
最近の大災害時の過酷被害を調査していて、周辺の人々がその人の存在を、災害時に初めてあるいは久しぶりに気づく。何か物悲しくさびしい気持ちになってしまいました。           
非日常事態になる前、普段から高齢者の存在は把握されていなければならないと感じました。近所の高齢者の顔が見えなくなり、家から出るのが億劫になってか、寝たきりになってか、別の親族のもとに移動してか、養老施設に入ってか、あるいはもうすでに亡くなっているのか。目の前からいなくなっていつの間にか皆の記憶から消えていく。災害時に存在が確認されるのもつらいものですが自然消滅的なのも悲しいですね。   
      
近所の『ひだまり公園子ども会』世話役の山本さんがケア施設に入ることになり、近所の人たちで壮行会が行われました。前半は大人、後半は子どもたちが集い、凧作りやペーパークラフトを楽しませていただいた記憶を心に、手を取り合い涙を流しながら別れを惜しみました。地域の課題として高齢者は存在感を示さなければならないと強く感じられた一駒でした。  

  高齢者は助けてもらう、それが高齢者に与えられた『役割』です。防災イベントに参加して助けられようよ、と私は提唱しています。発災時だけではなく普段から「我を助けよ」と若者にアピールしましょう。  
              
山本さん夫妻と近所の若い人たちを中心とした『共助力』に心強い安堵の感覚をもった今夏です。43号
「災害避難において、真の自助とは自衛であるべき」

 昨年多発した土地災害の人命被害には共通した要因があることに気づきました。それは、行政の避難指示が無かったり、遅れたことで住民が避難をしなかったことによって発生した悲劇です。避難指示を発表する首長と避難行動をする住民との間の根本的な誤りが過ちを引き起こしたと私は判断しました。
 危機対応に際して、自己防衛は本能的に状況を判断して瞬間的に防御行動を起こす、これが自衛です。行政の避難指示を待ちながら不安・恐怖におびえていたとしたら、何と悲しいことでしょう。避難勧告や避難指示は地域包括的な行政作用と認識すべきで、個々の生命確保は個々の自己防衛本能を発揮すべきと私は提言します。大地震時の自助を考えると、生命損傷は揺れている間に発生します。消防も町の防災組織も隣人も家族でさえ、あなたを助けることはできません。自助共助公助について、接頭辞に『真の』をつけてもう一度考えましょう。
42号
「村八分って知ってますか? 一人ではできない火事とお葬式」 

 「『村八分(むらはちぶ)』って知っていますか?」集団いじめの歴史的典型的な形態です。講演会等でこう尋ねると、今では7割近くの人たちが知らないと言います。しかし、子どもたちは今でも知っているし使ってもいます。恫喝的に「はちぶにするぞ」と使っています。では、村八分とは? それは、村集団のおきてに従わない者を仲間から外す私的制裁です。村八分にされると生きてゆけなくなる封建社会では、その恐怖から仲間はずれにされぬよう『見かけ団結』が維持されました。昭和20年ころまでは地域制裁として黙認されていました。

 そのような封建社会でも、『つまはじき』にしてはならないと定められていたのが残りの二分です。その外してはならない残りの二分は、『火事と葬式』です。一人ではできない消火活動と埋葬の二点は、村人総がかりで行ったのです。地域社会は、公助・共助・自助で成り立っているのですが、特に災害など究極の状況からの被害を避けようとしたときにその区割りは歴然としてきます。

 大規模災害の過酷被害が想定されている今、災害対応は一人では何もできない。災害時助け合いの仕組みができていなかったり、共助の輪から抜け出て無関心でいたりするのは村八分状態であり、封建社会より劣るのではないでしょうか。

 最近、首都圏直下地震の被害想定はますます過酷な状況に改訂されました。国民に求めることとして実質的な自助活動と有効な共助力を強めなければならないとしています。しかし、インフラ被害が増大することで人的被害も増大して共助に参加できるマンパワーも減衰することが懸念されています。大災害時、自分を襲う火事とお葬式を考えながら、自分の命は自分で守る、守った命で自分達の町を守る、地域共生の『防災安全、優しい街づくり』がさらに一歩前進することを心がけたいと思います。 40号
正常性バイアスに関わる『自己中心型自己判断基準』 
    
 『正常性バイアス』最近よく聞く言葉です。解りやすく表現すると『自分は大丈夫、過酷な状況に巻き込まれない。』という行動心理学上の用語です。人間は、日常、過酷事故を考えないで生活する本能が脳内にプログラムされていて、ストレスなく安穏に生きていくことを言っています。『正常』が付いているので何となく好ましいことと感じている方が多いのかもしれませんが、逆です。私などの年代は『恒常性バイアス』と言ったほうが理解しやすいかもしれません。

さて、東日本大震災では、この正常性バイアスに囚われていたため生命を失った人たちが多かったと伝えられております。現在テレビ・ラジオで、「津波避難は『はやく』、『高い所』に」と繰り返し放送されていますが、皆さんにとって『はやく』は、どれくらい『はやく』か、また、『高い所』はどれくらいでしょうか。この意識の持ち方が生死の分かれ目だったと私は考えます。

 私の調査対象に家族4人を失った人がいます。その人は妻と娘と孫たちをなくしました。地震直後、津波警報を聞いたので、家族には2階にいなさいと言って地域活動に出かけました。その後、家の高さを超える津波は家族をさらって行きました。その人に「あなたにとって『はやく』や『高く』はどのように考えていましたか。」と尋ねました。「津波が見えたら、水が来たら、走って逃げようと考えていました。また、『高く』は2階か屋根に登ればよいと考えていました。」そして「自分の人生60年の中では、大津波を体験しておらずこのような津波はあり得ないと思っていた。」と述べました。私は、このような事象を『自己中心型自己判断基準』と名付けています。祖父や父が家を流された大津波の体験をしているのに、その人の理解力はリスクマネジメントの最高点には達していなかったのです。自己判断基準を適正にすることは、いろんな事故や災害への対処につながります。

もうひとつ大事な点があります。正常性バイアスにリーダーが陥っているとその組織全体が被害をこうむってしまうという側面があります。 39号
「大災害時、自助・共助から互助へ」 

 前回、自助の準備ができてない人たちに「オニギリ恵んでくれ」と言えますかと問いかけた。オニギリを他に与えるのが共助の象徴でもある。「共助・公助されるべき」という人たちが多いだろうことは、多くの人達、あなた自身がよくわかっていることだろう(失敬)。
首都圏直下型地震、震度7、木造建物倒壊率約 50%、の被災では共助に回る人たちが不足することは明白である。真の自助が確立できる地域であるならば、当然共助活動も十分に行われることになろう。 

区民会議事務局の諸氏から、自助、共助について2極化する解釈が一般的であることにもっと違った視点が必要ではないかとの提言が有り、「自助共助が進化すると『互助』になるのでは」との結論。その通りだと思う。『自分を助ける、人を助ける』を超越して『助け合う』減災システムが構築できればよいなと心から感じる。  
                               
私は防災アドバイザーとして防災・防犯・福祉・生活安全のコラボレーションを掲げ活動をしているが青葉区は間もなく区民の大コラボレーションが確立し、防災の輪が広がって行くことを信じている。大災害時に、一人ひとりが、また一つ一つの組織が『想定外であった』と表明することの無いよう、『想定外想定』『マサカをモシカ』に、と考えよう。

『天は自ら助くるものを助く(S.スマイルズ)』であるが『人は一人では生きていけない動物である。』も真・・・。38号
1 「大災害時、真の自助とは」 
                                
 地震エネルギーの大小を問わず、地域が震度7の揺れに襲われた場合、その被害状況は震度6とは全く異なる状態になることが懸念される。簡単に表現すると、ビルは倒れる、木造建物は割れる、折れる、家具は倒れるのではなく跳ぶ、棚上の物は落ちるのではなく飛ぶなど、従来の考え方の対策では十分ではないと言われる。木造家屋の倒壊率が約50%にも及ぶとも言われる。このような状況の中で自助、共助は大幅に考え方を変えないと成り立たない恐れがある。

自助は真の自助心を持つことが必要で、他者を助ける意識を持つことが自助を完結させる本質であることに気付かなければならないと思う。誰かが助けてくれるだろうという公助・共助に依存した自助はあり得ない。倒壊率50%の地域が生じたとしたら、殺到する避難者で避難所(地域防災拠点)は破局する。この状況に陥らないためには、日ごろから他者のために何ができるかを考えること、地域生活を共有する仲間を増やすことだろうと思う。

わかりやすく言うと、発災時に、隣にいる人に「オニギリどうぞ」というのか、「そのオニギリ恵んでください」と懇願するのか。あなたの防災意識はどちら?「自治会、町内会に加入しよう」。避難所(地域防災拠点)に炊飯器はあっても米はない。食料の備蓄自給は自助の第一歩。人は一人では生きていけないのが大災害である。 37号